1997年、「それ」は大分では早朝の6時に放送されていた。
当時小学生だった自分は眠い目を擦りながらも「それ」に熱中し、見事にアニメオタクの道を歩むことになった。

新世紀エヴァンゲリオン


20世紀末、社会現象を引き起こしたアニメ作品。
21世紀になり新劇場版が(何故か)公開され、前作から10年近くの時を経てようやく完結編が公開された。

正直、前作を見た時は呆然とした。怒りすら覚えた。
それを受けての今作ということもあり、不安もかなり大きかった。
しかし、1997年から「エヴァ」に触れてきた自分にとっては、やはりエヴァは青春時代を代表するもの。その結末に触れたいという欲求は抑えられなかった。


ということで、シンエヴァンゲリオンを見てきたので、ガッツリとネタバレしながら感想をぶちまけます。記事のタイトルにも書きましたが「ネタバレ」するので、これから映画を見る予定の人は戻ることを推奨しますよ。







ふざけるな!10年かけてこれか!

――劇場が明るくなった時、最初に抱いた感想はこれだった。
確かに映像はすごかったと思うし、序盤の戦闘シーンなんかは震えるものがあった。

先に良かった点を書いておこう。
まずはアスカの名前の変更について。
どうして惣流から式波に変わったのか、これまで明らかになっていなかったが、そこは確かに今作ではっきりした。惣流・アスカ・ラングレーという人間とは違い、クローン技術によって生まれた式波モデル。別人であるからこそ、名前を変えたのはすんなりと納得できた。

次は、トウジとケンスケの存在。
世界を壊してしまい塞ぎ込むシンジに対して接するかつての友人の姿は本当に救われるものがあった。前作の関係者たちがろくな説明も無く冷たい仕打ちをしてきただけに、「お前が生きていてくれるだけでうれしい。友達だろ」と言ってくれる彼らの存在は本当に救いだった。

記憶に残っている良い点はこの2つ。

さて、まず言いたいことは
映画の中でばら撒いた伏線はきちんと回収しろ!

真希波とはいったいなんだったのか。
成長が止まるエヴァの呪いとは。


この辺りのことは劇中で一切触れません。
劇中で一切触れないからこそ、考察大好き昔からのエヴァファンたちが活気づいているとも言えるんですが、とりあえず映画を作るんなら「映画を見れば一通りの重要な謎は解ける」ようにしてくれ。

次に、最終決戦に向かうシンジ君に対し、ミサトが感謝を伝えるシーン。
きっと制作側は見せ場の一つにしたかったんだと思うんです。
「ニアサード・インパクトは起こったけど、あの時シンジ君がエヴァに乗ってくれなければ人類は滅んでいた。だから感謝している」
シンジを庇い、銃で撃たれたミサトさんは優しい声でそう語ります。
――Qの時に言ってやれよ、その台詞。
Qでシンジ君が目覚めた時、説明らしい説明もせずに冷たく当たったりせず、その言葉を掛けていればこんな事態にはならなかっただろう、と。
如何にも取ってつけたようなシーンに、思わず笑いが込み上げてきてしまいました。

で、最終的に真希波エンドってのはどういう了見だ、庵野。
しかもシンジと真希波をくっつけることを正当化するかのように、アスカとケンスケを作中で同棲させたり、ラストシーンで綾波とカヲルをカップリングさせたり……。場当たりにも程がある。


相変わらず小難しい専門用語を並べ立て、抽象的な会話を繰り返し、心理描写が入り混じる所為で分かりにくいが、それについては「それがエヴァンゲリオンだ」と言われれば確かにそうだ。
とは言え、流石に新しい単語がポンポン出過ぎ。


本当に酷い結末だった。
そう言わざるを得ない。

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